チャールズ=バベッジがコンピュータの原型を考案してから百年後の1937年、当時24才のアラン=チューリングは仮想論理機械の理論を発表しました。これは「チューリング・マシン」と呼ばれ、ここに現在のコンピュータの論理的原型が出来上がりました。
それから二年後、第二次世界大戦がはじまるのですが、チューリングもこの中に巻き込まれていきます。
◆ 第二次世界大戦と暗号機械「エニグマ」
1939年、ドイツ軍は突如、隣国ポーランドへ攻め込み、またたくまに全土を制圧、これに対しイギリスとフランスはドイツに宣戦を布告、ここに多くの国を巻き込む世界戦争がはじまりました。
当時ドイツは暗号機械「エニグマ」を使って暗号を作り、これで軍用通信を行なっていました。イギリスはこの「エニグマ」を、スパイなどを使って手に入れ、暗号を作る仕組みを解読することはできました。しかし、暗号を読むには24時間以内に暗号を分析する必要があったのですが、それは人間の計算速度では、とうてい不可能でした。
◆ 世界初の実用電子計算機で暗号解読
イギリス政府はドイツの暗号解読のため、チューリングをはじめとする優秀な数学者・技術者を集め、大規模な研究開発チームを編成しました。そしてチューリングたちは世界初の実用電子計算機「コロッサス」を作ることに成功。イギリスはこれを使ってドイツの軍用通信を解読できるようになりました。
第二次世界大戦中はアメリカでも弾道計算のための電子計算機が研究されましたが、完成前に戦争が終結しています。「コロッサス」は、はじめて実際に利用された電子計算機であり、戦局に大きな影響を与えました。
◆ コンピュータ開発の先を行く研究
戦争が終わってから5年後、チューリングは「機械は考えることができるのか」というテーマの論文を発表しました。この論文の内容は、後にチューリング・テストと呼ばれるようになり、このテストに合格すれば機械は考えていると言えるのですが、今のところ合格した機械はありません。このようにチューリングは、コンピュータ開発のさらに先を行く研究を行なっていました。
しかし1952年、チューリングはスパイの嫌疑をかけられ、我慢できないほどの屈辱を受けつづけました。それから二年後、チューリングは42才の若さで、自ら命を絶ちました。
そして現在、チューリングの業績は高く評価され、彼の名をとった「チューリング賞」は、コンピュータの世界で最も権威のある賞となっています。 |