★★ マイクロソフト社 ★★
ウインドウズで業界に君臨
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 コンピュータのソフトは、大きく二つに分けられます。一つは、ワープロソフトや表計算ソフトなどの「応用ソフト」です。もう一つは、文字の入力・データの保存など、どんなソフトでも必須の基本的な機能をまとめた「基本ソフト」です。この基本ソフトなしでコンピュータは動きません。今回は、基本ソフト「ウインドウズ」の圧倒的なシェアで業界に君臨するマイクロソフト社について紹介します。

◆ ビル・ゲイツ、中学校でコンピュータと出会う
 マイクロソフト社の設立者ビル・ゲイツは、1955年10月、アメリカ西海岸ワシントン州シアトルで、裕福な弁護士の息子として生まれました。10月生まれはアメリカでは早生まれです。ゲイツ少年は早生まれのため体力の発達は遅れ気味でしたが、知力は異常に発達していました。このため、鼻っ柱が強く、負けず嫌いな子供だったといいます。
 やがてゲイツは私立中学レークサイド・スクールに進学します。この頃、アメリカでもコンピュータを備える中学校は皆無でしたが、この私立中学はゲイツ入学から間もなく、母の会の提案でコンピュータを買い、生徒に使わせました。それまで自分の天才的な知能を持て余し気味だったゲイツ少年はコンピュータに熱中し、トランプゲームなどのプログラムをどんどん考え出していきます。ゲイツのコンピュータ熱は、高校・大学でも続きました。

◆ マイクロソフト社を設立(1975)
 1974年、MITS社が、最初の大衆向けパソコン「アルテア8800」を発売しました。パソコンの登場によって、今まで「企業で使う大きな機械」というイメージの強かったコンピュータは、身近な機械として特に若者の関心を集めるようになり、各社が販売競争を繰り広げます。ゲイツは、友人ポール・アレンと一緒に大学のコンピュータを使い、パソコンのための基本ソフトを作りました。これは大変優れていたのでMITS社に採用されます。そして1975年、ゲイツとアレンはマイクロソフト社を設立。翌年、ゲイツはハーバード大学を中退し、設立したばかりのマイクロソフト社に全力を注ぎます。

◆ IBM社がパソコン用基本ソフトの作成を依頼(1980)
 1980年、大型コンピュータ市場を支配するIBM社はパソコン市場への進出を決め、マイクロソフト社に基本ソフトの作成を依頼します。しかし、他の二つの会社と競合でした。ゲイツは他社を押しのけ、自社のソフトをIBM社の標準ソフトにすることを目指します。
 ゲイツはIBM社に、「たった一回、安いライセンス料を払えば、全てのコンピュータにマイクロソフト社の基本ソフトを搭載できる」と申し出ます。IBM社は優れた基本ソフトをタダ同然で使用できることをよろこび、この話にのりました。しかしゲイツは「その基本ソフトを、他社にライセンスしても構わない」という契約も、IBM社と結んでいました。

◆ どのコンピュータも、マイクロソフト社の基本ソフトで動くようにする
 ゲイツは自社の基本ソフトを、極力安価でコンピュータメーカにライセンスします。マイクロソフト社の基本ソフトで動くコンピュータが多ければ、それ用の応用ソフトが色々と作られます。そして使用できるソフトが増えれば、その基本ソフトはますますシェアを拡大。いずれは、マイクロソフト社の基本ソフトがコンピュータを支配する日がやって来ます。
 多くのコンピュータメーカが、安価なマイクロソフト社の基本ソフトを搭載しました。そして気が付いた時には、マイクロソフト社が基本ソフトのシェアの8割を占めていました。IBM社は、マイクロソフト社が改訂した新しい基本ソフトを買わねばならなくなって初めて、ゲイツの目的に気づきましたが、もはや手遅れでした。そして1995年、マイクロソフト社は大々的なキャンペーンとともにウインドウズ95を発売しますが、これはゲイツの一つの頂点でした。
 ゲイツは自社の寡占状態を作ると、基本ソフトを矢継ぎ早に改訂し、それに対応した応用ソフトを他社より早く出しました(マイクロソフト社は、基本ソフトの中身を全ては公開していないので、他社がウインドウズの応用ソフトを作ろうとすると大変な時間がかかり、非常に不利です)。この方法でマイクロソフト社は、応用ソフトでも高収益を上げていきます。
 アメリカ司法省と州当局は、マイクロソフト社のやり方は公正な競争でないとして1998年、独占禁止法違反で提訴します。しかしブッシュ政権下の2002年11月、司法省は和解し、州当局の訴えは棄却されました。

◆ 秘密の無い無料の基本ソフト「リナックス」の登場(1991)
 不動に思えるマイクロソフト社の市場支配ですが、90年代になると思わぬ強敵が次々と出現します。その一つが基本ソフト「リナックス」です。ソースコードを公開し、誰もがタダで入手でき、改良さえ加えることができるので、業界の人々に熱狂的に歓迎され、企業のサーバ用基本ソフトとしてシェアを拡大しています。
 マイクロソフト社のやり方に反対する人々は、「リナックスのように秘密を無くし、多くの人々に無償で公開してこそ、コンピュータの健全な発展につながる」と主張。これに対し、ゲイツは「3年を費やして作ったソフトを、タダで配布できるはずがない」と反論します。また、コンピュータを本格的に導入しようとする発展途上国には、頻繁に改訂しその度に料金のかかるマイクロソフト社のソフトは財政を圧迫するので、無料の応用ソフトに切り替える国や、リナックスの導入を検討する国も出てきています。コンピュータ業界とコンピュータそのものがどう変わっていくか、まだまだ流動的です。



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