★★ ジョン=アタナソフ(1903〜1995) ★★
世界初の電子計算機を作った人
ホーム > コンピュータ史


 ここでは、世界初の電子計算機「アタナソフ・ベリー・コンピュータ」を作ったアタナソフについて紹介します。

◆ 数学・物理・電気工学を学ぶ
 ジョン=アタナソフは、1903年、米国ニューヨーク州で生まれました。少年の頃から理数系が得意でした。18才の時、フロリダ大学へ入学し、電気工学を学びます。続いて大学院に進み、数学を勉強。さらにウィスコンシン大学の博士課程で物理学を学びました。これら3つの学問を学んだことは、後にコンピュータを作るとき、とても役に立つことになります。

◆ 世界初の電子計算機「アタナソフ・ベリー・コンピュータ」を作る(1939)
 大学で物理を研究しているとき、アタナソフは膨大な計算に苦労し、計算機を作りたいと思うようになりました。アタナソフは、アイオワ州立大学の助教授になると、本格的に計算機の作成をはじめます。この頃、優秀な院生ベリーがアタナソフの助手になり、大きな力となりました。
 そして1939年、約300本の真空管を使った試作機「アタナソフ・ベリー・コンピュータ」(通称ABCマシン)が完成しました。これは小さな機械ですが、「2進法による演算回路を組み込み、電子的な方法で計算する」世界初の電子計算機でした。
 しかし1939年9月に第2次世界大戦がはじまると、アタナソフは軍事研究に駆りだされ、コンピュータ開発が出来なくなりました。一方1946年、モークリーとエッカートがアメリカ陸軍の援助を得て「エニアック」を完成。自分たちは電子計算機 の発明者であると主張し、特許をとります。この影で、アタナソフが世界初の電子計算機を作ったことは注目されることなく、忘れられていきました。

◆ スペリーランド社とハネウェル社の裁判(1967〜1973)
 アタナソフが世界初の電子計算機を作ったと認められたのは、スペリーランド社とハネウェル社の間で争われた裁判の結果でした。
 スペリーランド社は、「エニアック特許」をモークリーとエッカートから買い、他のコンピュータ会社から特許使用料を徴収していました。しかし、ハネウェル社だけは特許料 の支払を拒否し、スペリーランド社に訴えられます。これに対し、ハネウェル社は独占禁止法違反と特許の不法性で、スペリーランド社を訴えました。
 ハネウェル社の弁護士は、「エニアック」開発以前、アタナソフが電子計算機を作っていたと証明。そして1973年、裁判所は「エニアック特許は無効。エニアックはアタナソ フの試作機をヒントに作られたものである。」との判決を下し、スペリーランド社もこの判決を受け入れました(確かにモークリーは、アタナソフの研究室を訪れ、電子計算機についてくわしい説明を受けていました)。

 現在、アタナソフは電子計算機の発明者として高く評価されています。



ホーム > コンピュータ史

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送